「君死にたまふことなかれ」という言葉を皆さんご存じだと思います。
中学校の歴史の教科書に出てきます。
日露戦争に出兵した弟を思って、1904年に文芸誌「明星」に発表した詩に与謝野晶子が載せました。
日清戦争(1894年)が終わって、日露戦争(1902年)が起こりました。
その戦争に与謝野晶子の弟が出兵することになりました。
その戦争に兵士として行った弟はその後どうなったのでしょうか。生きてかえってこれたのでしょうか。それとも戦死したのでしょうか。
気になったのでネットで調べました。
すると以下のようなことを書いているネットを見つけました。
「与謝野晶子の弟、籌三郎は日露戦争では戦死せずに無事に帰還。 実家を継いだ一方で、晶子のよき理解者でありつづけました。 昭和19年に63歳で没と伝わります。 伝わるところによると、籌三郎は姉譲りの文才があり文章が達者だったので、将官から書記に任じられて重宝がられ、戦闘にはほとんど出ることはなかったといわれております。 (籌三郎曰く、「なんと字を知らない兵隊がいかに多いのやろう」だそうです。) また、籌三郎の部隊は旅順で戦闘に参加していないはずですが、遼寧会戦には参加しています。 与謝野晶子の長兄秀太郎は優秀で大学教授となり家業を継ぎませんでした。 次兄は早くに亡くなっていたので、最後に家に残った籌三郎が家業を継がないと断絶するという状態でしたので、実家を飛び出し親不孝を重ねていた晶子は実家と弟を非常に心配していたと言うのが真相だそうです。」
日露戦争による戦死者
「戦闘に参加した日本の軍人と軍属の総数は、戦地と後方勤務の双方をあわせて108万人を超えていました。 このうち戦死者・戦傷者は、それぞれ約8万4千人、14万3千人となっていました。 日清戦争時の戦死者と比較すると、およそ10倍の死者が出たことになります。」
日露戦争によって、なんと8万4千人の日本人が死んでいるのです。与謝野晶子の弟は運良く生きて帰れたようです。
それにしても戦死者が8万4千人とは大変な人数です。一方のロシアの戦死者は何人なのでしょうか。
これについて調べてみると、上の情報とは別の数字が出ていました。以下の通りです。
日本側の戦死者数約15,400名、戦傷者数約44,000名。 ロシア側戦死者数約16,000名、戦傷約30,000名。
また、別の資料では、日露戦争による日本の死者数11万5600人、ロシア4万2600人となっていました。
3つの資料がみんなバラバラな死者数を出しているので本当のことがわからなくなりました。
追伸
この記事を書いたのは随分前のことですが、この記事は多くの関心事なのか、よく読まれています。
最近は、ロシアとウクライナの戦争がまだ続いています。これによってどちらの国もたくさんの死傷者が出ています。さらには、北朝鮮の兵士がロシア側の兵士として戦うことになり北朝鮮の人もその犠牲者となっています。
今回のロシアがウクライナに侵攻したのはなぜか。これについてロシアにはその理由はあるようですが、結局政治の指導者の判断によって命令がくだされ戦争に行かざるをえなくなる国民は、かわいそうです。
北朝鮮の兵士も、行きたくなくても命令で行かされ、拒否しても拒否せず戦争に行っても、死ぬ確率が高いわけです。何と不合理なことでしょう。
トランプ大統領が次期大統領として選ばれました。トランプ大統領はロシアとウクライナの戦争を止めると言及していました。
世界でもっとも経済力があって発言権のある大統領が本気で戦争を止めてくれるなら、戦争を止めてほしいです。


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