1911年に辛亥革命があり、その翌年1912年に中華民国が成立し、清が終わりました。
1911+110=2021(今年)
中学の教科書では次のようなことを記述しています。
当時、清をたおして近代国家を作ろうとする革命運動が起こりました。その中心が三民主義を唱えた孫文です。「三民主義」とは、「民族の独立(民族)」「政治的な民主化(民権)」「民衆の生活の安定(民生)」の三つからなる革命の指導理論です。
1911年に武漢(ウーハン)で軍隊が反乱を起こすと、革命運動が全国に広がり、多くの省が清から独立を宣言しました。
1912年に各省の代表から支持された孫文が臨時大総統になり、南京で中華民国の建国が宣言され、これを辛亥革命と言います。
清の実力者だった袁世凱が皇帝を退位させ、清がほろびました。孫文の臨時政府が軍事的に弱かったため、臨時大総統の地位を袁世凱にゆずりました。袁世凱は首都を北京に移し、独裁的な政治を行いました。袁世凱の死後は、中国は軍閥によってばらばらに支配されました。
年表を見ると、
1927年、中国国民政府成立
1937年、中国国民党と共産党が手を結ぶ
1949年、中華人民共和国成立
孫文の死後
蒋介石が国民党の指導者となって国内の統一を進め、1927年中国共産党を弾圧して、南京に国民政府を作りました。
毛沢東の率いる共産党は蒋介石が指導する国民政府(国民党)との内戦を1936年停止しました。
1949年に、蒋介石が率いる国民党が共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れてきました。
中国大陸を共産党の手から奪い返そうと考えて一党独裁体制を敷いた国民党でした。
しかし、1987年に戒厳令を解除し、2000年には中国と距離を置く民進党が初めて政権交代を果たしました。
そして、台湾では約70年かけて民主的な政治制度や自由が根づいてきました。
台湾は、もともと台湾に住んでいた人(本省人)と、中国大陸からやってきた人(外省人)がいます。
自分は何人かというアンケートに対して、2019年の調査では、台湾人56.9%、台湾人と中国人の両方36.5%、中国人3.6%(台湾の政治大学調査)となっているようです。
清から中華人民共和国までの中国の歴史的流れのまとめ
清→辛亥革命(孫文)→袁世凱(北京に首都)→軍閥によるばらばら支配→国民党の蒋介石が南京に国民政府→毛沢東(共産党)と蒋介石(国民党)の対立→蒋介石が敗れて台湾に逃れる
上のような流れで国民党の蒋介石が台湾に逃れて、もともといた台湾人と住む状況となり今の台湾となったというわけです。
中国大陸のトップの変遷
①毛沢東(もう・たくとう) 共産党として、国民党を打倒。1949年10月1日、中華人民共和国を樹立。1893年湖南省生まれ(明治26年)
②華国鋒(か・こくほう)
③鄧小平(とう・しょうへい)
天安門事件(1989年6月4日、北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力行使し、多数の死傷者を出した事件)
➃江沢民(こう・たくみん)
⑤胡錦濤(こ・きんとう)
⑥習近平(しゅう・きんぺい)


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